カギのルーツを探る - 合鍵についてもっと詳しく!

古代の鍵と錠

~エジプト錠前とは?(紀元前約2000年前後)~
人間が何か財産を持つようになった時から、それを守るための工夫がされたであろうことは
容易に想像がつくと思います。それが「錠」という形を取った最古の物は「エジプト錠」と呼ばれおり、
これは「木製」の錠と鍵を用いたものでした。
エジプト錠の構造は、「かんぬき」と「錠本体」を数本のピンで固定(施錠)し、外から錠を開ける時(開錠)は、
扉の穴から鍵を差し込みピンを押し上げて「かんぬき」を動かす仕組みになっていました。

~ギリシャ時代の鍵と錠前(紀元前約1000~300年前後)~
ギリシャ時代の初期には扉の締まりとして、「かんぬき」を革紐や綱で複雑に結ぶ方法が行われていて、
その結び目はその家の主人しか解けないものでした。この錠は安全度においてあまり期待できなかったと思われます。
その後ギリシャ時代の後半には、エジプト錠の原理を応用したもので
さらに精巧な「パラノス錠」が考案されるようになりました。

[図1]イタリア北部チビアーナ(CIBIANA)image (1770年に鍵と錠で栄えた街)

~ローマの鍵と錠前とは?(紀元前約750~30年頃)~
ローマ時代の鍵のほとんどが鉄製であったため、完全な状態のものは発見されていませんが、
当時の青銅製のかんぬきから考察すると、
「エジプト錠」や「パラノス 錠」と同じ原理の錠が使用されていたようです。
また、この時代は「南京錠(パドロック)」が使われ始め、地中海沿岸地方から近東にかけて流行し
特に中国では広く使われていたようです。
日本の正倉院に保存されている「海老錠(えびじょう)」と呼ばれる南京錠もこの頃のものと思われています。
ローマでは、指輪のように指にはめる南京錠の鍵が使用されていたようです。[図2]
さらにローマ時代には現在の「ウォード錠」に近いものが広く用いられるようになったようです。

[図2] イタリアのコネリアーノ博物館にて

中世の鍵と錠とは?

中世のヨーロッパは「力」が社会を支配した時代で、錠も破壊に強い大型のものが使われていました。その形式は「ウォード錠」と呼ばれており、
錠側には障害物 (突起)を多様に設けて、鍵には複雑な刻みがほどこされたものであったとされています。
権力者達は次第に鍵の模様の精巧さや美しさを競うようになり、渦巻模様、組合せ文字、注文主の紋章などをほどこしたものなどが現れ
鍵が権力や地位の象徴になっていきました。

そのような流れの中で鍵を次の世代に継承する文化が生まれ、今日でもある都市が別の都市や観光客に象徴的な鍵を贈ったり渡すことが行われております。
イタリアでは日本で言うところの「遺言」の代わりに、「鍵」を継承していく文化が根付いています。
至るところに鍵が使われているイタリア(ヨーロッパ)は玄関はもちろん、各部屋・倉庫・トイレにも鍵が多種多様に使われていて、
レストランやタバコ屋さんでトイレを借りる時にも鍵を渡されるくらい根付いている鍵の文化を、親から子へ、そして子から孫へと継承していくのです。
鍵を継承する文化と共に、鍵作りの職人にも芸術的で優美なものを作る者が現れ、時計はこれらの職人が作り始めたといわれています。

[図3]イタリア北部 チビアーナの壁画 [図4] 鍵屋の親子

この写真は2014年5月にイタリア北部のチビアーナ(CIBIANA)という街で撮影された写真です。
チビアーナは、山のふもとにある人口は約100数十人程度の街です。小さな駄菓子屋とエスプレッソの美味しいレストランが1件あるのみです。
イタリアで240年続いている創業1880年の鍵の会社のルーツは、なんとこの地さな街で産声をあげました。

街の至るところに壁画が描かれている街並みは、言葉では表すことができないほど感動的でした。


近世の鍵と錠

産業革命前後に鍵と錠も大きく進化し、僅か150年位の間に各種の形式の錠が出現しました。
次に時代を追ってその概要を説明いたします。

~BARRONのレバータンブラー錠(1778年)~
イギリスのRobert Barronはレバータンブラーを発明しました。
これは現在の「レバータンブラー錠」の原型といえるでしょう。

 

~BRAMAHの錠(1784年)~
イギリスのJoseph Bramahが発明した錠で、当時のオーソドックスな錠の方式と全く違った独創的なもので、
広く名声を得たといわれています。

~CHUBBのレバータンブラー錠(1817年)~
イギリスのChubbは、不法に解錠されないような装置と、さらに不法に開錠しようとしたことが
判明できる機能の付いたレバータンブラー錠前を発明しました。
現在でもChubbの錠前はこれと同じ装置が付いています。

~YALEのピンタンブラー錠(1848年)~
米国の銀行錠製作作者のLimus Yeleは、「エジプト錠」や「ローマ錠」の原理を利用した錠前を発明しました。
この錠前は既にほとんど現在のピンシリンダーの機構に達していると言えるものです。
鍵の組み合わせが多いこと、誤動作も無く防犯性が高いことなどの優れた特徴を有しており、
約一世紀半が経過した現在でも、米国は勿論、世界各地において防犯性の高いシリンダーとして主流を占めています。
その他、この頃には「ディスクタンブラー錠前」、「符号錠前」、「タイムロック」などの錠前が出揃って
今日に引き継がれています。

~近代から現代へ~
ピンシリンダーを主体にしたアメリカの錠前と、レバータンブラー錠を主体にしたヨーロッパの錠前が
近代から現代にかけて発展し、19世紀末には現在ある錠の形式や種類はほとんど出来上がりました。
それ以降は素材が変わったり、生産方式が手造りから工場のライン生産へ変わったための
マイナーチェンジを繰り返して現在に至っています。
また「鍵番号」というものによって、メーカーによる鍵の管理がされるようにもなりました。
この管理体制によって、メーカーでは鍵番号だけで合鍵を作ることができるようになったため、
今後はこの鍵番号によって合鍵作成された鍵が増えていくことかと思われます。